はじめに
2026年2月の東大二次試験直後、ある調査結果が大きな話題になりました。最新の生成AI 3種(Anthropic Claude Opus 4.6、Google Gemini 3 Pro、OpenAI GPT-5.2)に東大二次試験を解かせたところ、いずれも得点率8割以上を記録し、最難関とされる理科三類(東大医学部進学コース)の合格者最高点を上回ったというのです(東進ハイスクール調査、AI Watch)。文系数学では3種すべてのAIが満点を獲得し、最高得点を出したClaude Opus 4.6 は9割に迫る成績を残しました。共通テストにおいても、最新AIは15科目中9科目で満点、平均得点率96.9%を記録しています(日本経済新聞)。
「AIが東大に合格する」という出来事は、これまで何度も「いつかは来る」と言われてきました。それが現実になった瞬間に立ち会っている私たちの世代は、間違いなく歴史の転換点にいます。
しかし、ここで一つの素朴な問いが浮かびます。
「では、東大入試を満点で突破できるAIは、明日から我が社の業務ができるのか?」
答えは、ほとんどの会社にとって「ノー」です。本記事では、なぜAIが「試験には強くても業務には弱い」のか、その本質と、企業がAIを業務に組み込むために必要なハーネスエンジニアリングという考え方を解説します。
「東大の理三トップ層」が、いきなり貴社の業務をこなせるか?
少し視点を変えて、AIではなく人間の話として考えてみましょう。
仮に、東京大学理科三類(医学部進学コース)に合格した、論理的思考力・記憶力・処理速度どれをとっても完璧な新入社員が貴社に入ってきたとします。理三といえば、毎年100名前後しか合格できない、日本の大学入試の最難関です。彼は東大入試で言えばトップ層の得点を取れる学生です。
その彼に、初日からこう言ったらどうなるでしょうか。
「じゃあ今日から、A社の月次決算処理を一人で全部回しておいて」
おそらく1秒で困った顔をするはずです。理由は明白で、業務にはドキュメント化されていない無数の暗黙知が詰まっているからです。
こういった現場のルール、慣習、例外、判断基準は、ベテランの頭の中にしか存在しないことがほとんどです。どれだけ優秀でも、暗黙知を共有されていない人間は業務を回せません。
そして、AIにとっては事態はもっと深刻です。人間の新人なら「これってどうしましたっけ?」と隣の席の先輩に聞けますが、AIはそれができないからです。
ハーネスエンジニアリングとは何か
ここで登場するのが、ハーネスエンジニアリング (Harness Engineering)という考え方です。
「ハーネス」とは、もともと建設現場や登山で使う命綱・安全帯のことを指します。もう少し広く言えば、危険な作業を安全に進めるための枠組み・足場・拘束具全般です。
AIにおけるハーネスエンジニアリングとは、
AIに業務を任せるための「足場・ガードレール・人間の介入ポイント」を設計する技術
のことを指します。AIは無限に賢くなっても、企業の業務文脈・社内ルール・例外パターンをすべて自動で理解することはできません。だからこそ、AIが「正しく仕事をしてくれる空間」を周りから作ってあげる必要があるのです。

ハーネス設計で重要な2つの観点
ハーネスエンジニアリングには、大きく分けて2つの設計が含まれます。
観点A:暗黙知の見える化
業務フローを徹底的に洗い出し、それをAIが読める形で設計に落とし込むことです。
具体的には:
これは結局のところ、「優秀な新人にもう一度説明できるレベルまで業務を分解する」ことと同じです。AIのために業務を整理した結果、新人教育が劇的にスムーズになった、というのは現場でよくある副次効果です。

観点B:人間配置の設計
AIにすべてを任せるのではなく、「AIが苦手な部分にどう人間を配置するか」を設計することです。
AIにも得意・不得意があります。
ハーネスエンジニアリングでは、この得意不得意を踏まえて業務フローのどこに人間を置くかを設計します。
具体例:書類スキャン業務のハーネス設計
抽象論だけでは伝わりにくいので、具体例で考えてみましょう。
ある企業で、毎月数百件の紙書類を電子化して台帳に入力する業務があるとします。これをAIに任せたい場合、ハーネス設計はこうなります。

このように、「人間 → AI → 人間」というサンドイッチ構造で業務を組み立てるのは、ハーネスエンジニアリングの代表的なパターンです。AIに全任せでも、人間に全任せでもなく、両者の得意分野を組み合わせて1つの業務として成立させる設計が肝になります。
「人間がAIに寄り添う」という発想転換
ここまでの話を整理すると、AI活用の本質は「AIをどう人間に寄り添わせるか」ではなく、むしろ「人間がどうAIに寄り添うか」という視点の転換にあります。
これまでのIT導入は、「ユーザーが使いやすいようにシステムを作る」ことが正解でした。しかしAIの場合、AIの得意な領域に人間が業務の組み立てを合わせる方が、結果として全体の生産性が上がるケースが多々あります。
具体的には:
こうした「AIに寄り添う運用」を作ることで、AIは本来の力を発揮できるようになります。

おわりに
「AIが東大入試で満点を取った」というニュースを見たとき、多くの方は「これで会社の業務もAIに任せられる時代が来た」と感じたかもしれません。
しかし実際にAIを業務に組み込もうとすると、AIそのものの賢さよりも、業務側の整理と、人間配置の設計こそが成否を分けることに気付きます。これがハーネスエンジニアリングの本質です。
Kurasakuでは、企業のAI活用支援にあたり、業務フローの可視化と整理、AIと人間の役割分担の設計、継続的に運用できるハーネスの構築の3点を軸に、お客様の現場に合わせた仕組みづくりに取り組んでいます。「AIで何ができるか」よりも、「AIを活かすために業務をどう変えるか」という観点で、一度自社の業務を見直してみてはいかがでしょうか。
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